2013年09月12日

さくや姫プロジェクト  その2

10年目の限界と支え続けるために必要な支援  ただ「ベーカリーカフェ風」は、設立以来、公的な支援を一切もらわずに運営しています。この10年間、地元をはじめ、たくさんのお客さんが支え続けてくださったおかげで、何とかやってくることができました。お客さんたちの温かい心に対し、「障害者が作った」ということに寄りかかることなく、「本当にいい材料でいいものを作ろう」と頑張ってきたんです。
 公的支援がなくても何とか経営はできます。しかし、それは私が睡眠を2時間まで削って、皆のお給料と運営費を確保してきたからなんですね。もうそろそろ限界です。今後は本当に公的支援が欲しい。
 公的支援や就労継続支援事業(B型)指定にしてほしいというお願いは、これまでもしてきました。そのために市役所へ何度足を運んだかわかりません。私は本当に自分が捧げられるすべての体力と気力と財産を、障害のある人たちのために絞り出してきたんです。彼らが自立できるよう、もっと強力にサポートしたいですし、サービスも充実させたい。しかし個人でやっていくには、与えられた時間も経済力も限界があります。
 あるとき、市役所の福祉課の担当者に「あなたはただのパン屋じゃないか」と言われたことがあります。何の補助ももらっていないから「ただのパン屋」というわけです。でもそれはおかしい。私は金儲けや自分の趣味で、ベーカリーカフェをやっているわけじゃありません。それは誰の目にも明らかだと思うんです。
「市内にあるB型施設は、どこもまだ定員的なゆとりがあるから、これ以上、B型施設はいらない」と言われたこともあります。でも、なぜ増やしてはいけないのか。その理由については釈然としません。市役所の職員だって、いろんな就職先のなかから市役所を選んだわけじゃないですか。どうして障害者には選ぶ自由がないのでしょうか。
 行政で福祉に関わる人たちは、もっと「障害者目線」でものごとを捉えてほしいと思いますね。人間としての優しさを、仕事で発揮してほしい。障害があっても働く喜びや仲間がいる喜びは同じです。そもそも障害の有無は紙一重じゃないでしょうか。どっちが上か下かということではないはずです。犯罪を起こした「健常者」は社会的に見れば「障害」であるはずです。それでも、もし自分は健常者という人が「あなたたちは障害者だ」と言うのなら、どんな人も社会で幸せに生きるために、健常者としての役割を果たすべきでしょう。
仲間と居場所があったから実現した変化  2008年に作った「藤枝市地域支援センター風」は、ベーカリーカフェで仕事できない人たちが、軽作業や創作活動をして1日を過ごす憩いの場所です。もともとは私の自宅だったところをリフォームしました。30人ぐらいが登録していて、毎日10人ぐらいが利用しています。
 今年1月には念願だった「グループホーム緑の風」をオープンしました。全部で8部屋の個室があって、寮母さんが部屋の掃除してくれたり、手作りのおいしい夕ご飯を作ってくれます。建物は私が自分のお金で建てましたが、すでに静岡県の認定がとれましたので、障害者のグループホームとして補助をいただいています。
 グループホームができて、実はホッとしているんです。私は今年63歳になりますが、これで私にいつ何があっても、亮は生きていけるんじゃないかと思うんですね。かつてのように暴れて、警察や救急車を呼ぶことは、もうすっかりなくなりました。この1~2年は、ほんのちょっと怒るということさえありません。自分の居場所ができ、仲間もできて、少しずつ変わってきました。
 記憶も取り戻しています。昔、暴れていたときのことを「あのときは子供だったから」と冗談みたいに言えるようになって、つくづく長い道のりだったなと思いますね。1年とか2年で何とかなることじゃありません。長いスタンスで捉える必要があります。
次の夢は障害と福祉をPRするチンドン屋  この18年間の活動は、全部息子のためとも言えますが、よくよく考えてみると、私自身、自分の居場所が欲しかったんじゃないかと思っています。暴力、暴力の毎日のなかで、「自分の生きた証」が欲しかった。暴力まみれの毎日で「このまま死ぬのはイヤだ」と思っていましたから。いろいろカッコいいこと言っていますが、それが本音ですね。
 私の活動の源は怒りです。行政の人たちの保身や偏見、怠慢に対し、障害を持つ人たちに代わって今も闘っているし、そういう権力に負けたくない。自分の怒りにつぶされたくないから、行動しているんです。よく「俊子さんはそんなに大変な状況でよく泣かないわね」と友達に言われますが、悲しむと行動がとれなくなります。亮が99.9%助からないと言われたときも泣かなかったし、それがエネルギーになった。不可能と言われたことが、私のエネルギーになって、亮は今も生きています。
 要するにいい加減なんでしょうね。深刻にならない。99.9%ダメだと言われても、「そうか」といい加減に受け止めれば、頑張ろうって気になれる。正直、私はあのとき「亮は死なない」と思っていたんです。
 もう1つ、私がやり残している夢はチンドン屋です。うちのメンバー皆をチンドン屋にして、市役所の前を練り歩きたい。障害者に対する偏った見方を直してもらうためのプロモーションです。障害とはどういうものか、福祉とは何のためにあるのかをチンドン屋を通して考えてもらう。これまで思ったことは全部実現してきましたから、チンドン屋もきっと日の目をみると信じています。
                        岸  俊子 




静岡県藤枝市生まれ 藤枝市在住



【 略 歴 】

1992 次男が交通事故に遭い、一命はとりとめるが重い後遺症を患うことに
1998 障害者が共同作業できる農園をスタート
2002 NPO法人「風」 設立
「ベーカリーカフェ風」をオープン
2008 「藤枝市地域活動支援センター風」開設
2011 「グループホーム緑の風」設立




Posted by かぜ at 11:43│Comments(1)
この記事へのコメント
こんばんは

凄い話しですね

ちょっと心が苦しくなりました

1%の確立でも0じゃないから可能性はあるんですね

文章を読んだだけで凄い苦労が伝わってきましたけど

実際は心が強くないと乗り越えられない事かもしれないですね
Posted by しげちゃん農園 at 2013年09月14日 02:26
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    コメント(1)